Fate雑記(士凛特化)+あるふぁ

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異文化交流クイズ

【異文化交流クイズ】【3-9問題】来日外国人による日本の「ムスメさん」への礼賛

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」。後半になって少々テーマから逸脱してきましたが、第9回の今回は幕末維新期にやってきた外国人達の目に映った日本の「ムスメさん」についてからの出題です。

『日本女性は男たちの醜さから程遠い。新鮮で色白、紅みを帯びた肌、豊かで黒い髪、愁いを含んだ黒い瞳と活き活きした顔は美人のそれである。』

『娘さん達の歯は世界中で一番美しいし、目は優しく、眉は黒く弓型になっている。綺麗な卵型の顔にすらっとした背丈、しとやかな体型、素朴で時には著しく上品な物腰が混じり合っている。この娘さん達が深々とお辞儀をし、優しい笑みを浮かべて近付いてくるのは見ものである。追い越していく時「まっぴらごめんなさい」と云うのは聞くに値する。

『日本女性の肌の色は、西洋での噂とは異なり、少なくとも若いうちは黄色ではない。特に北の方ではピンクの肌や白い肌の少女に出会うことは稀ではなく、その愛らしさは小粋なパリ娘も舌を巻くに違いない。民族衣装の襟から覗く胸から上の部分は殆ど例外なく完璧で、うなじの線、肩の丸み、胸元のどこをとっても、なんともいえず官能的である。

このような記録を残した筆者の国籍も、見聞した地域もバラバラにもかかわらず、彼らの日本の「ムスメさん」への礼賛は、とどまるところを知りません。

もっとも実は個々人の顔立ちを褒めているのは少ないのです。

「頬骨が出ている」「大きな瞳も少々切れ長過ぎ」「唇が厚ぼったく繊細さに欠ける」等々、指摘するところはちゃんと指摘していたりします。

ですが諸種の記録を総合すると、当時の一般的な庶民の少女達というのは、概して(外国人たちにも)人懐っこくて、よく笑い、愛嬌もあって、それでいて控え目で親切な物腰で……と、容姿以外の部分も彼らに強い印象を残したようで。

と云ったわけで、遂にはフランス人たちに『日本と云えばエル・ドラドじゃないか。常春と、不思議な花と、拒む術を知らない女たちの楽園だぞ』という日本女性観を植え付ける程でしたw。

もっとも、殆ど例外なく同じ記録の中で「日本の女性達は三十歳前後になると容姿は急速にたるんでしまう」とガッカリするように記録しています。

更に一様に非難の的になったのは、お歯黒と白粉のべた塗りでした。お白粉は兎も角、お歯黒は確かに現代の我々が当時の既婚女性を見れば、まず間違いなくギョっとする羽目になるでしょう。比較的忠実な時代劇でさえ、現在では殆どこの風習について再現されませんから。

このお歯黒の風習について、欧米人観察者の多くに受け入れられた見解は『女たちは男に身を捧げた印として、自分の魅力をわざと台無しにするのだ』というものでした。

彼らにしてみれば当然の帰結のようですが、流石にこれは穿ちすぎ、だと思われます。 

我が国の記録を見る限り「白粉で真っ白な肌、紅を塗りたくった唇、そしてその唇の狭間から見える真っ黒な歯のコントラストが美しい」と少なくとも一時期は捉えられていたことは確かなようで。

もっとも結局明治以降は普通に寂れた慣習ですので、どのくらいの時代まで我々のご先祖様達にそのような美的感覚があったのは、定かではありませんが。

さてここで今回のクエスチョン。

勿論地域差もあるでしょうが、日本の娘達が結婚するまでは自由気ままを満喫しているのは各種の記録に記されているところで、彼女たちの『優雅なる暇つぶし』として『お喋りをし、お茶を飲み、化粧をし、祭りを楽しむ』等々、具体例が挙げられていますが、外国人達が日本の娘の『優雅なる暇つぶし』として驚いたものがあります。

現在でも普通にある慣習、というか「日常の嗜好」ですが、外国人達が驚いた、日本の若い娘達が楽しむこの「日常の嗜好」とは一体なんでしょうか? 

この出題だと正解が複数ありえますので、ヒントとしては「現在でもあまり良い嗜好とは認識されていないもの」という前提条件でお答え下さい。

【異文化交流クイズ】【3-8回答】客から遊女にプレゼントを渡す際の仲立ちとして使われた、部屋の中に必ず備えてある『あるもの』とは?

異文化交流クイズ、第三シーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第8回の問題は、客から遊女にプレゼントを渡す際の仲立ちとして使われた、部屋の中に必ず備えてある『あるもの』とは一体何でしょう? という問題でした。

幕末維新期、日本を訪れた外国人達が一様に驚いたことに日本の女性の髪型があります。

時代劇を見ても分かると思いますが、あの髪型。毎朝結い直すわけにもいかず、そのために当時の女性は、器用に木の枕に自分の頭を載せて就寝したそうです。当時の来日外国人が残した日記でも、髪を結った日本人少女が形を崩さないように器用に木の枕を使っていたことが記されています。

そしてその髪型が花魁ともなれば更に大変であって、形を崩さない為には木の枕が必須であり、当然の事ながら就寝時には一番身近な家具ということになります。

ということで、今回の正解は・・・『木の枕』でした。

以下、カリージョの本からの引用。

『このちっぽけな家具はよくよく見ると、人形用の黒檀の椅子のようでもあり、絹の靴下を履いた西洋娘の足台のようにも見える。しかし、本当は秘密や宝物を入れておく箱なのだ。その小さな神秘的な引出を開けると、一時の恋の相手が寄越したプレゼントやら、好きな男の手紙が入っているのである。

 ある歌にこうある。“ひとり気ままにいるときに、人知れず見るものは、我が枕に隠されしもの”

 こうして彼女たちが見るものの中には、恋文やら口説きのプレゼントの他に決まって春画がある

さてこのカリージョ、吉原同様に春画についても非常に熱く解説しています(笑)。

春画を『誰でも好奇心から一度は見た事があるだろう』とまで「当時ヨーロッパで発売されたスペイン語の本の中で」語っています。

……「昔春画、今アニメ」という構図も満更間違いでもないようでw。そして次の一節も現代の「萌え」にも通じるモノが。

『日本は婦人達が人目を憚らずに入浴し、男性が裸で道を歩き回っているという途方もない国であるのに、こと春画に関してはどの画家も、狂気のヴィーナスや恥知らずのファウヌス(半獣神)に、絹の豪華な衣裳を纏わせて描くのである。実際春画には裸体は出て来ない。性愛の無上の恍惚の中でさえ着物を纏ったままである。精々描かれるのは、帯を解き、着物の前を開け、袖をたくし上げている姿までである。』

……つまり、既に春画の時代から「チラリズム」「絶対領域」の概念の原型はあったと云っても過言ではないでしょうw。

我々はこのような偉大なご先祖様を先祖に持ち得たことに、深く感謝すべきでありましょう。

さて最後に今回の元ネタ本の紹介。『誇り高く、優雅な国、日本』(人文書院)。勿論吉原の話だけでなく、日本の武士道やら詩歌、自然にまで踏み込んで描かれています。

ちなみに余談ですがこの本、カリージョの元本は20世紀初頭のスペイン語圏では大いに評判となり、スペイン語圏の日本像の形成に大きな影響を与えたそうで。スペイン語圏で「日本人=芸者、ハラキリ」というイメージが定着したのはこの本が原因であると、この本の訳者は推定しています。

・・・と云うことは当時からスペイン語圏では「日本人=無口無表情少女萌え、絶対領域万歳!」という素敵な構図も認知されていたということになりますが、さてw。

【今回分は是非一読を】【異文化交流クイズ】【3-8問題】無口無表情キャラ萌えの原典並びに美少女ラブコメの本当の源流

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第8回。今回はシリーズ趣旨とズレますが、今日の日本オタクの「無口無表情キャラ好き」の源流を、グァテマラ人視点から探ります。かつての「綾波好き」「長門好き」などの方並びに日本人の萌えの原点を知りたい方は、今回だけでも是非ともお読み下さい。

グァテマラ出身の批評家兼作家にして、現代スペイン語散文の生みの親の一人と云われるエンリケ・ゴメス・カリージョが日本にやってきたのは日露戦争直後近辺。

このカリージョ、15歳で駐在外交官夫人とスキャンダルを起こしに始まり、絶え間ない女性遍歴、決闘騒ぎ、好奇心の赴くまま外国旅行と、かなり奔放な性格をしており、日本にやってきて当然の如く、吉原を訪れます。

常連となった妓楼で彼は十返舎一九執筆による『吉原暦』と云う名の吉原の解説本の普及版を見つけます。この本はフランスにおけるジャポニズム普及に貢献した作家エドモンド・ルイ・ゴンクールによって翻訳&注釈が付けられ、ヨーロッパでも広く普及していたのですが、これを本場の吉原で読むことで、カリージョは十返舎一九の慧眼に改めて驚きます。

『花魁の間で男を最も喜ばせる官能的な女は、猫のようにしなを作って笑う女ではなく、憂鬱そうに黙りこくって死ぬことを考えていそうな女だ』

要するに、所謂「綾波系」「長門系」と評される無口無表情キャラへの萌えは、既に江戸期には確立していたわけです。

もっともカリージョは一九を「鋭い目を持った心理学者である」と褒めていますが、つまるところ「この系統のキャラへの萌えは日本人に限らない」ということの証明でもありますね(笑)。

更に本筋から逸れますがもう一本。「とある物語」の粗筋をざっと紹介致しましょう。

『主人公は金もなく、力もなく、喧嘩をすれば必ず負ける19歳の少年。とある名店の養子になったのですが従業員に店を乗っ取られて、ボロ長屋に追放。

元従業員だった18歳の女の子はそんな主人公を見かねて、生活費を稼ぐために芸能界に。主人公に対して超ツンデレなこの彼女ですが、芸能界であっという間にのし上がっていきます。一方、主人公が養子に入っていた店の一人娘の15歳の少女は、元々許嫁だった主人公にベタ惚れ。

ここにめでたく(笑)三角関係が成立。この美少女二人は顔を合わすたびに嫉妬と当てこすりと涙の応酬。主人公はこの二人の間に挟まれ、いつもオロオロ。

そのくせこの主人公、顔だけは良いので、常にもてもて。ツンデレな彼女と同じ芸能人の女の子にも惚れられてしまい、それがバレて大騒動に発展したりと、大騒ぎな毎日が繰り広げられるのでした。。。』

さて「……それってどこの一昔前のラブコメ?」という展開のこの物語。

ですが発売当時大流行したこの作品の正体は、現在のラブコメ漫画でもエロゲでもなく……作品名は『春色梅児誉美』。

作者の名前は……『水野忠邦による天保の改革で手鎖の刑に処せられた』として日本史の教科書にも登場する『為永春水』だったりしますw。

なお上に紹介したあらすじは恐るべきことに「意図的な改変は一切ありません」。「芸能人=辰巳芸者」に置き換えたくらいで。

所謂『人情本』というジャンルを確立させたこの物語、恐らく日本の現在の美少女ラブコメの原型と呼ぶべきでしょう。

ちなみにこの物語、最後は悪が滅び、主人公は「とある大名家の重臣の御落胤」と判明してめでたくその家の相続人に。元許嫁は本妻に、ツンデレ芸者の彼女は側室に、という身も蓋もない完全無欠のハッピーエンド(笑)で幕を閉じます。

要するに、萌えの概念は江戸末期には確立し、既に我々の中に遺伝子レベルで刻み込まれていると云っても差し支えはないのでしょう! 

なんとなく「……それでいいのか、日本人?」と云う気がしないでもないですが、きっとそれが日本人という人種にしみちレベルで刻まれているサガなのでしょうw。

さて全然話が逸れましたが。

カリージョは明治も終わりに近付いている時代であるにもかかわらず、いまなお吉原においては、男女の営みに至るまでの物凄く緩慢で煩雑な、昔ながらの手順が守られていることに感激します。

また伝説的な遊女について数多くの実例を聞かされた結果『無知な私はほんの数週間前まで、日本では遊女が誠実さの手本となりうるなどとは思いもしなかったのだ』とまで書き記しています。この点についてはまた稿を改めて取り上げることにして、今回はカリージョが書き記した遊郭での慣習からの今回のクエスチョン。

客から遊女にプレゼントを渡す際には部屋の中に必ず備えてある『あるもの』を介して行われ、遊女達はその中に入れられた恋文だの、プレゼントやら、春画などを大切にしていたようですが、この『あるもの』とは一体何でしょう?

【異文化交流クイズ】【3-7回答】川柳「バレ句」の有名な一句。『弁慶や○○は馬鹿だなァ嬶ァ』の「○○」の部分に入る、歴史上の人物とは一体誰?

異文化交流クイズサードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第7回は江戸後期、庶民の間に流行ったエロチックな内容の川柳「バレ句」の中の有名な一句。男女の営みを知らない歴史上の人物をからかった『弁慶や○○は馬鹿だなァ嬶ァ』の「○○」の部分に入る、歴史上の人物とは一体誰でしょう? という問題でした。

今回の正解は・・・絶世の美女と歌われながらも「深草少将の百夜通い」で分かるよう、誰からの求愛をも受け入れなかった天才歌人『小野小町』でした。

小町は、特に能の分野では「草紙洗小町」「関寺小町」「卒都婆小町」など様々なモチーフの対象にされたりしますが、和歌の名手として褒め称えられると同時に、表舞台から姿を消した後半生に関しては、(何ら根拠がないにもかかわらず)散々落魄した姿で描かれていたりします。

何故そのような現象が起きたのは……様々な角度から研究されており、読むとなかなか興味深いのですが、本筋とは離れますので、ここでは省略。

なお今回のバレ句については、八代目・桂文楽の十八番『明烏』の枕に使われているそうです。

ともあれ要するに、幕末当時の日本人にしてみれば「男女の営みはこの世で一番の楽しみ」であり、それを忌避しているのは変わり者くらいだ、という認識だったわけですね。

しかも当時の日本人にとって恋愛が先にあるのではなく、男女とは相互に惚れ合うものであり、その両者の関係を規定するのは性的結合である、と考えられていたのです。そして静的結合は相互の情愛を生み出し、家庭的義務を発生させるわけで。

このことと、これまでこのクイズでも何度か出題してきましたが、我々のご先祖様達の、子供の異常な可愛がりぶりを合わせて考えると「日本的家族関係の成り立ち」が見えてきそうです。が、とりあえずその辺については今回のシリーズとはテーマが別なのでまた稿を改めることにして。

男女の関係を「このようなもの」として認識していた日本人達と、キリスト教的な異性愛を当然のモノとして受け止めていた欧米人達との間に、根本的な相違が出来てしまったのは、ある意味で仕方ない側面があったのかも知れません。川田龍吉についてもこの視点から改めて観察してみると、興味深いかと。

【異文化交流クイズ】【3-7問題】西洋人の視点から映った日本人夫婦間の愛情

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第7回は、少し視点を変えて「西洋人の視点から映った日本人夫婦間の愛情」についてからの出題です。

『日本人は愛によって結婚しない』と云うのは、幕末期日本を訪れた西洋人観察者達に広く流布していた考え方だったりします。

この点を端的に示したプロシャの海軍将校ヴェルナーの文章を信用しますと、

『わたしが日本人の精神生活について知り得たところによれば、愛情が結婚の動機になることは全くないか、或いは滅多にない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。私は確かに両親が子供達を愛撫し、または子供達が両親に懐いている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人達も、日本女性は言葉の高貴な意味における愛をまったく知らないと考えている。』

この文章の肝は『言葉の高貴な意味における愛』という点で、ヴェルナー曰く「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法並びに宗教の結果である」。これはつまるところキリスト教文化の結果としての性愛のみが、彼らの認めるところの『愛』であり、間違っても当時の日本人の性愛意識――『男女の営みはこの世の一番の楽しみ』――などと考え方とは相容れないものであったりします。

……とこのテーマで小難しく書いても仕方ないですので、ぶっちゃけて云えば、西洋人達は幕末の日本にやってきて仰天したわけです。

春画や春本があまりに一般庶民の間に横行していたことを、西洋では「解剖学教室以外では見ることの出来ない例の形」をしたお菓子が平然と売られていることを、あまりにも平然と異性の前でも――西洋人である彼らにも物怖じせず――若い女性達が肌をさらし、時には『着物をまくし上げて身体を見せつけるようなことまで敢えて』することを。

当時の日本人にとって「性は男女の和合を保証する良きもの、朗らかなもの」であり、従って恥じるに及ばないものだったのですが、キリスト教的異性愛の観念のみが唯一の愛であった西洋人にはとても受け入れられるものではなかったわけです。

当時の日本人と西洋人の間の結婚の一部がお互いにとって不幸な結果を招いたのは、言語の違い以前に『愛』に対する観念が根本的に異なっていたことも挙げられるでしょう。

さてここで今回のクエスチョン。

江戸後期、庶民の間に流行ったものに川柳がありますが、その中で漢字では「恋句」「艶句」と書く、エロチックな内容の川柳を「バレ句」と云いました。

その中の有名な一句『弁慶や○○は馬鹿だなァ嬶ァ』は、男女の営みを知らない(と一般的にされた)歴史上の人物をからかったものですが、この「○○」の部分に入る、歴史上の人物とは一体誰でしょう?

【異文化交流クイズ】【3-6回答】英人言語学者が『日本女性は一生の間、大体○○のようだ』と云った、この『○○』に当てはまる言葉は?

異文化交流クイズサードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第6回は言語学者のチェンバレンが、日本女性について『日本の女性は一生の間、大体○○の如くに取扱われていると云った方がよい』と見解を述べていますが、この『○○の如く』に当てはまる言葉は何でしょう? という問題でした。

『日本の女性は一生の間、大体赤児の如くに取扱われていると云った方がよい』と云うことで、今回の正解は・・・『赤児』でした。

要するに、ロティに云わせれば『日本女性は何の思想も意志も持たぬ単なる人形』であり、しかもその人形から着物を剥ぎ取ってしまえば貧弱な身体しか残らず、そのような結婚生活など耐えられない、というのが『お菊さん』という小説の形を取ったわけです。

他のアジア諸国よりは明らかに地位が高かったとは云え、やはり「西洋近代の基準に従えば」日本では女性が男性に隷属していると映ったが故のチェンバレンのこの表現ですが、流石はロティと違って彼は別の側面をも見抜いています。

一生赤児のように扱われる日本女性は同時に『不用意な観察者には見抜くことのできない性質をもって』おり、それは『堅固な、殆ど厳しいとも云えるべき性質である』と云い『このか弱そうな女性がスパルタ人の心を持っているのである』と。

更にチェンバレンは『下層階級においては、中流階級や上流におけるほど女性の服従が実行されたことはない』と認め『農民の婦人や、職人や小商人の妻たちはこの国の貴婦人達よりも多くの自由と比較的高い地位を持っている。下層階級では妻は夫と労働を共にするのみならず、夫の相談にもあずかる。妻が夫より利口な場合には、一家の財布を握り、一家を牛耳るのは彼女である』……って、つまるところ、現在と変わらないじゃん、と(笑)。

維新前後の外国人観察者達の記録を数多く読んでいると実感しますが、要するに、国民性等の根本の部分と云うものは、たかが百年やそこらでは変わらない、ということですね。

【異文化交流クイズ】【3-6問題】ピエール・ロティが『お菊さん』で描いた「日本の女性」像

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」。後半戦は、久々に特定の本からではなく、各種資料からの出題していきます。

「異文化間に愛情が成り立つのか?」と云うテーマで、それを「否」として描いた人物として世界的に最も有名なのが、フランス人作家ピエール・ロティでしょう。恐るべき事に、2021年の今日においても「ヨーロッパ人の日本人女性に対する偏見」の根本原因はこの人物の書いた文章なのです。

「アフリカ騎兵」で一躍人気作家となったロティが日本にやってきたのは、1885年7月8日。

彼は長崎の地で18歳の日本女性おかねと「更新可能の、一ヶ月の約束の」結婚をするものの、船の修理が終わった8月12日、何の未練も見せずに日本を離れます。

その翌年、ロティは『倦怠と無理解』の小説『お菊さん』を書き、その小説は一躍ベストセラーとなり、フランス人に日本の「ムスメ」の定番の姿を植え付けてしまいます。

内容を詳細に書くと……正直日本人としては気分の良いものではなく、普段愛国心など感心のない人でも目覚めちゃいそうなので省略。

今回のテーマである「異文化感の愛情」という点だけに絞って御紹介するにしても、ロティが1880年代の日本女性をどう描いたかと云えば……

『徹頭徹尾真面目さを欠』き、『人生で最も厳粛な瞬間の真最中でも笑う』ような、愚かしい『ばね付き人形』であり、『目方の軽い脳味噌』と『ずるそうな甘ったれた瞳』を持っている、と。。。

要するに『日本の女性は何の思想も持たぬ単なる人形である』と判断していたわけで、当然の事ながら、おかねさんとロティの間に愛情など芽生える筈もなく。

もっともそのずっと後、再来日したロティは「15年前には理解出来なかったムスメたちの魅力がやっと私にも分かってくる」と日記に書き残していますけれど。

当時の日本女性の地位が『他のアジア諸国よりは段違いに良い』と云うのは殆ど全ての記録で意見が一致していますが、それは『アジアでは』という限定付きであって、欧米人から見れば甚だ不完全なものでした。もっとも、更に踏み込んだ観察者達は「日本独自の女性の地位」を見いだしているわけですが、その点は後述することとして。

さて、ここで今回のクエスチョン。

言語学者であり、アイヌ語に関する研究でも優れた成果を残し、外国人として最初の東京帝国大学名誉教師となったイギリス人チェンバレンは、日本女性について『日本の女性は一生の間、大体○○の如くに取扱われていると云った方がよい』と見解を述べていますが、この『○○の如く』に当てはまる言葉は何でしょう?

【異文化交流クイズ】【3-5回答】龍吉が晩年、周囲の人間を驚かせることになった最後の行動とは?

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第5回の問題は、龍吉が92歳になって突然取って周囲を驚かせた「ある行動」とは一体なんだったでしょう? という問題でした。

龍吉は生前、周囲の誰にもジニー・イーディーの名前を漏らしませんでした。龍吉の死の26年後、蔵書の間に隠されるようにあった手紙だけが、龍吉と彼女の繋がりを物語っています。

『貴方がイエス・キリストに心を捧げないことで何を失っているか知って下さればと思いました。私の愛しいリョウ、このことについて真剣に考えなければなりませんよ。それだけの価値のあることを私が保証しますわ』

と云うことで、今回の正解は・・・『カトリックの洗礼』でした。

信仰の道に入った龍吉は祈りと共に日々を過ごすようになり、人が変わったように穏やかになったと云います。そして昭和26年、龍吉は家族や村人に見守られながら、95年の長い生涯を閉じます。

龍吉の死後、遺族によってその金庫が再び開かれたものの、息子の吉雄が以前見つけた金髪の入った小箱は見あたらなかったそうです。ジニーの金髪は龍吉の死と共に、永遠に消え失せました。そしてその26年後、偶然に発見されたジニーとの間で交わした手紙は、現在北海道の男爵資料館で展示されています。

現在の我々的感性からすれば「龍吉は全てを投げ打ってでもジニーとの恋に生きるべきだった」という意見が大半を占めるのでしょう。

ですが、龍吉は最後の最後まで「侍」だったのかと。川田龍吉に関する物語を閉めるに相応しい一節を『葉隠』から引用します。

『恋の至極は忍恋と見立申候。逢ふてからは、恋のたけがひくし。一生忍びて思ひ死するこそ、恋の本意なれ。』

尚、今回の参考文献は「サムライに恋した英国娘-男爵いも、川田龍吉への恋文」(藤原書店)でした

「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」シリーズ後半は別の文献からの御紹介となります。

【異文化交流クイズ】【3-5問題】龍吉の晩年と驚くべき最後の決断

異文化交流クイズ。サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第5回は、川田龍吉の晩年から出題です。

完全にドックの仕事から足を洗った龍吉は北海道の地に本格的な農場を確立すべく邁進します。彼は次男の吉雄をオックスフォードに留学させて欧米スタイルの機械化酪農を学ばせ、その帰国後は親子で力を合わせて働きますが、吉雄は僅か二十八歳で病死してしまいます。

この頃から龍吉は徐々に癇癪を起こすようになりますが以下のようなエピソードが残っているそうです。

農場で忙しく働く農民のために、龍吉自ら茶を沸かし振る舞おうとします。ですが、誰もそのお茶を受け取るものはいませんでした。彼らにとって龍吉は「殿様」であり(実際にそのように呼んでいた)、殿様の入れたお茶など畏れ多くて飲めない、と。

龍吉は暫く黙って立っていたものの、やがて「そうかい。誰も飲まんのかい」と呟くとも手に持っていた薬缶を放り投げ、無言で立ち去っていった、というエピソードが残っています。

年を経る毎に龍吉の感情は荒れていき、農夫達はただ殿様殿様と奉るだけで接触を避け、妻の春猪に当たり散らし、酪農の責任者とも衝突して辞められ、ついには酪農部門を全て売却してしまいます。

妻をはじめ息子や娘達にも不幸が続きますが、それでも龍吉は生き続けました。

太平洋戦争が勃発すると自室に籠もり、かつてグラスゴーで買い求めたディケンズやドイルを読み耽り、現実から逃避していきます。

太平洋戦争終結時に龍吉は89歳に達していましたが、それでも農業への情熱だけは持ち続け、杖に縋り、農夫に籠で自らを担がせてまで、畑へと出たそうです。

さて、ここで今回のクエスチョン。

昭和23年、龍吉92歳の夏。彼は突然「ある行動」に出て周囲を驚かせます。その理由を誰にも告げずに龍吉が突然とったこの「ある行動」とは一体なんだったのでしょうか? 

ヒントとしては周囲の人々がその理由を悟ったのは、龍吉の死の26年後、彼の蔵書の中から出てきたジニーとの分厚い手紙の束だったでしょう。。。

【異文化交流クイズ】【3-4回答】川田龍吉が最初に輸入し、現在では北海道を代表するようになったある野菜類とは?

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第4回の問題は「川田龍吉が最初に輸入し、現在では北海道を代表するようになった『ある野菜類』とは一体なんでしょう?」という問題でした。

今回の解答の前提条件として龍吉の父、小一郎の人生が深く関わってきます。

小一郎は三菱の創設者、岩崎弥太郎の死後、それに殉じるように三菱を退社するのですが、明治22年、当時の大蔵大臣松方正義から富田鉄之助の跡を継いで第三代日本銀行総裁に是非、という要請が届きます。

この要請を受諾した小一郎は明治29年に死去するまでその職を勤め、その死の一年前には日清戦争の戦費調達への功績により「男爵」の爵位を授けられました。

純然たる民間出身者で爵位を得たのは小一郎が最初で、その死後は龍吉が「男爵」となります。

と云うことで、もうお分かりのことと思いますが、今回の正解は・・・『男爵芋』でした。

かつて過ごしたスコットランドと北海道の気候が似ていることに気が付いた龍吉が、持ち込んだ品種は元々「アイリッシュ・コブラー」と呼ばれ、世界的にも有名な品種だったのですが、産地の農会が日本国内の産地としてのブランドを確立すべく「男爵芋」と名付けることを提案し、龍吉に了解を求めます。

『私が持ってきた芋がこのように全国に普及するとは夢にも思わなかった。あのジャガイモを男爵芋と命名することに異議のある筈はない。喜んで了承しましょう』

と云うことで、男爵芋という名前が龍吉公認の下に付けられ、今日まで伝わっているわけです。

横浜の造船ドックは恐らく龍吉がいなくとも完成したでしょうが、もし龍吉がジニーとの結婚を強行していたならば、少なくとも「男爵芋」と名付けられた品種が北海道の名産品となることはなかったわけで一つの恋の顛末が日本の農業史を左右することになった、というわけです。

さて、次回は川田龍吉とジニーに関するお話の最終回。その悲しい晩年を……。

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