【文春オンライン記事】
「どの作品も違う彼氏と見ました」という声も…新海誠監督に聞く『すずめの戸締まり』が中国・韓国で“メガヒット”したワケ
2022年11月に公開され、動員1100万人超、興収147億円超を記録した、新海誠監督による劇場アニメ『すずめの戸締まり』。歴代興収ランキング14位にランクインし、中国と韓国では日本映画興収第1位に輝くほどのメガヒットとなった。
新海誠監督に、中国と韓国での反応、20年前から熱視線を送っていたという中国・韓国の新海誠ファンの存在、日本製アニメがアジアで支持される背景などについて、話を聞いた。
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「あらゆる手段を使って見てくれている海外のマニアがたくさんいた」
ーー『すずめの戸締まり』が中国での日本映画興収第1位になりましたが、その第3位が『君の名は。』(2016年)、第6位が『天気の子』(2019年)となっています。監督の作品が中国で圧倒的な支持を得ているのを実感したのは、いつくらいからですか?
新海誠(以下、新海) 今年の3月に『すずめの戸締まり』のプロモーションで北京と上海を訪れた際に、これまで以上に中国での日本のアニメ映画への期待度の桁が変わってきたんだなということを実感しました。『君の名は。』は中国での興収が95億円だったので、すでにあの時点で興行やビジネスの面では大きな規模になってはいたんですが、『すずめの戸締まり』の公開にあたって日本の作品に対する中国側の配給の気持ちの強さや期待が、より強くなっているな、と。
“精緻なプロモーションをして明快にヒットさせるんだ”と、中国の配給会社が前のめりになっているのは今回が一番強く感じましたね。
ーー『君の名は。』以前で、そういったものを感じたことは。
新海 興行やビジネス面以外での中国との関わりは、もう随分前からあって。僕は2002年に『ほしのこえ』を個人制作したのが監督としての本格的なスタートになるんですけど、その頃から海外にはアニメ・マニアの方々がいたんです。自分たちの住む場所で作品を見られなくても、なんらかの方法を駆使して国外のアニメ作品を見るような熱心な方たちです。
中国では『ほしのこえ』のDVDは正規でリリースされていなかったけど、海賊盤といったあらゆる手段を講じて見てくれているマニアの方がたくさんいたんですね。僕のもとにそういった方たちから感想がいっぱい寄せられたこともあって、2000年代の頭から中国にファンの方たちがいるのはわかってはいたんです。最初はそうした実感だったんですけど、作品を出すごとに中国の経済規模も大きくなって、流通も完全にクリーンになって、日本のアニメが興行として成立していっていることも感じましたね。
ーーそれまでにもあったファンからの熱気が、『君の名は。』以降から商業的な熱気に変わったわけではなく。
新海 ビジネスのやり方が変わってきただけで、熱量は当時からそのまま変わっていないと思います。海外のファンのみなさんの熱さはずっと継続していて、その中でも中国は特に熱いんですね。『言の葉の庭』(2013年)のときに上海の映画祭に呼んでもらって、はじめて中国に行ったんです。『言の葉の庭』は日本では小規模公開だったんですけど、上海ではとても巨大な劇場で上映してくれて、ファンの方が1,000人近く集まって「サインがほしい」「あの作品が好きだ」と言ってくれました。あの時点で、僕の作品のパッケージは中国で発売されてないし、作品も公開されていないにも関わらず、そうした歓迎を受けたことがとても印象深くて。今回の『すずめ』でも、その熱量はまったく変わっていなかったですね。
「どの作品も違う彼氏と見ました」というファンも
ーー韓国でも『すずめの戸締まり』は累計観客数が約540万人、韓国での日本映画歴代1位の大ヒットとなっています。韓国での支持も中国に近しい感じですか。
新海 僕がはじめて韓国を訪れたのは『雲のむこう、約束の場所』(2004年)を作ったときで、ソウル国際マンガ・アニメーション映画祭に呼んでいただいたんです。やはり、その時点でもファンの方がいらっしゃって、インターネットなどを通じて僕の作品に触れていたようでした。
中国と韓国で印象的なのは、「小学生で『君の名は。』、中学生で『天気の子』を見て、いま高校生で『すずめの戸締まり』を見に来ました」とか「どの作品も違う彼氏と見ました」といった声が多いんです。小学校、中学、高校、大学と、10代の各ステージに僕の映画がリンクしていて、3年に1回のイベントのようになっているんだなって。「いくつのときに『君の名は。』を見て、いまは高校生です」とか「いまは大学生です」みたいな話をしてくれるファンが、どちらにも多いんですよ。
ーー人生で最も多感な時期に作品を見てもらって、その後も追ってもらえるのは監督冥利に尽きますね。
新海 そうですね。でも、彼らにはそうした作品がきっとほかにもいっぱいあるんですよ。僕自身もかつては宮崎駿さんの新作をずっと待っていたし、『風の谷のナウシカ』の原作なんて何年も待ちました。その間には『機動戦士ガンダム』なども見ていたし。そういう昔の僕のような状況で、大きなお祭りとして捉えてくれるのは嬉しいですし、そうなったのも作品を作り続けてきたからだなと思います。
あと、作品の打ち出し方についてはうちの会社(コミックス・ウェーブ・フィルム)の方針もあって。「海外のアニメのマーケットは必ず大きくなっていくから、いきなり興行などを大きくやらずに、まずはファンの方たちと丁寧に向き合うことからはじめていこう」と。これは僕ではなく、社長の川口(典孝)や海外担当の人間の判断だったんですけど、結果的に良かったと思います。
「東日本大震災」というテーマの受け止められ方
ーー『すずめの戸締まり』は、東日本大震災が大きなテーマになっています。そこを中国と韓国の観客は、どう受け止めていると感じましたか?
新海 僕はどの国でも上映後の舞台挨拶に出たときに、海外の観客のみなさんにいろいろなことを話すんですが、そこで、2011年に実際に起きた東日本大震災がこの作品のベースにあることや、東北地方を地震と津波が襲って住んでいた場所に住めなくなった人がたくさんいること、すずめのような人たちが本当にたくさんいることを伝えるんです。すると、それを聞いた瞬間に「え、そうだったの!?」と観客のみなさんが息を飲んでいるのがわかるんですよ。
「建物の上に載っている船を劇中で出したのには、こういう理由があって」と続けると、ものすごく真剣に聞き入ってくれるんです。さらに「東日本大震災のことを覚えてる方はいらっしゃいますか?」と聞くと、どの国も観客の3割ぐらいの人しか覚えていない。観客のなかには、映画を見たあとに記事やレビューなどを読んで東日本大震災のことを知り深堀する人もいるでしょうけど、多くの人は、まずはその事実とは関係なく、純粋なエンタテインメントとして見てくれたんだなという感覚です。
ーー日本でも若い観客となると、東日本大震災といってもピンとこない人もいるでしょうし。
新海 いまの日本の10代のほとんどは、東日本大震災の記憶がないわけですからね。日本でも若い世代が「あ、こういうことが日本にあったんだね」というところも含めて、見てくれたのかもしれないなとは思います。『すずめ』はどの国でも若い世代の間で広がっていった感覚があるのですが、日本の場合はそれに加えて年長者に届かなかった部分も強くあったんじゃないかなという実感もあって。震災の記憶がある世代は「思い出したくない」「見たくない」と思われた方が少なくないと思います。
アジアで日本のアニメがヒットしている理由
ーー中国と韓国でメガヒットとなりましたが、そもそも日本のアニメはアジアでは受け入れられやすい土壌があると思いますか。
新海 単純に日本のアニメに馴染んでいるんですよね。たとえば『ドラえもん』だったら、どこの国の作品なんてことは気にせずに見ている。中国のアニメ・ファンも韓国のアニメ・ファンも、日本の子供向けアニメを見ながら育ってきて、その延長線上に僕の作品のようなオリジナルの劇場アニメーションもあれば、ジブリ作品もあれば、『スラムダンク』をはじめとした「週刊少年ジャンプ」のIP(Intellectual Property=知的財産)ものもある、といったことじゃないかなと。
いま、韓国と中国の日本アニメ歴代興収の1位が『すずめ』で、2位が『THE FIRST SLAM DUNK』ですよね。でも、僕以外の人が『すずめ』を出したり、井上雄彦さん以外の人が『THE FIRST SLAM DUNK』の監督を手掛けていたら、ここまで当たらなかっただろうと思います。
ーー創作活動の積み重ねが、メガヒットに繋がったと?
新海 内容も大事だけど、「あの監督の作品だ」とか「これ、漫画でずっと読んできたやつだ」といったものもすごく大事なんだなと感じます。僕やその前の偉大な先人の方々がコツコツとやってきたこと、種をまいてきたこと、その積み上げがアジアにはあった。いまは、それが花開いている状態なんだと思います。
たとえば「ジャンプ」のIPものは、テレビでアニメは何度も放送されてきて、漫画が何千万部と読まれてきて、そして劇場アニメとなって、みんなが見る。『呪術廻戦』も『ワンピース』も『ドラゴンボール』も全部そうだと思うんですよね。積み重ねがあってこそ。アジアにおいて、日本はそれをじっくりやってきたんですね。これが欧米になると、アジアと比べて積み上げがグッと少なくなる。まだ日本のアニメーションというものが欧米などの地域でマイナーな存在なのも、そこが理由だと思います。それでも、確実に変わってきてはいますけれども。
アメリカでの反応は…アジアに比べたら「まだまだ」
ーー欧米における日本アニメの存在感についての話が出ましたが、4月12日からアメリカでも『すずめの戸締まり』が公開されました。反応はどうでしょうか?
新海誠監督(以下、新海) 中国、韓国と同じように、アメリカにも熱いファンの方々はいるんですよ。ただ、分母の数が圧倒的に小さいですね。
そうしたなかでも「週刊少年ジャンプ」のIP(Intellectual Property=知的財産)ものは、状況がずいぶんと変わってきましたね。コロナ禍もあって、この3年で世界中の人が一気に配信を見るようになって、『鬼滅の刃』を筆頭に日本のアニメーションが日本以外の国の人々に発見されて人気を集めたんじゃないかと思います。
「週刊少年ジャンプ」系に限らず、漫画原作でテレビ・シリーズになっているIPものは、北米でも存在感がどんどん増してきています。さっきも言いましたが、それでもアジアに比べたらそこまでの大きさではない。ましてや僕の作品なんか、まだまだマイナーでマイノリティのためのものといった位置付けになっていますね。
ーー『君の名は。』以降、監督の作品は海外で大きく公開されていますそれゆえにテーマやプロットの構築、キャラクターの造形などで、国外の観客を意識しているところはありますか。
新海 『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』に関しては、僕のなかではグローバルへの意識はほとんどゼロ。一切考えていないです。「日本で作る日本人が見るためのアニメーションを作ろう」と思って作っていて、徹底的にローカルなものにしようと意識しています。
グローバルなものは、すでにハリウッドや韓国がとてもうまくやっていますよね。最初からグローバルを見据えて、インクルージョンとダイバーシティをしっかり組み込んだ制作体制で、作品を当てている成功例があります。それはとてもすごいことですが、一方で、僕たちがそれと同じ方向を向くのはすこし違うんじゃないかと。
そうじゃなくて、徹底的にローカルなものを作ろうと思っています。ローカルであっても、その足元の地面をずっと掘っていけば、地球の反対側に穴が通じることもあるかもしれない。そうやって他の国の人が見てくれることもある。国は違っても同じ人間だから、根っこでなにか伝わったり、響いたりするわけですよね。
もちろん、日本以外の方にも見ていただきたいので、配給してくれている東宝や僕らの会社(コミックス・ウェーブ・フィルム)の海外担当が、「海外向けのタイトルをどうしようか」とか努力してくれています。ただ作品そのものの作り方は、海外を意識していませんね。
コロナ禍をほとんど感じさせない内容にしたワケ
ーー作品の時事性についてもお聞きしたいのですが、『すずめの戸締まり』は劇中のセリフから察するに2023年が舞台ですね。そうなると、どこかでコロナを意識せざるをえなかったのではないかと。とはいえ、主要キャラクターのマスク姿が多いとビジュアル的に映えませんし。
新海 いろいろと考えました。『すずめ』の企画を考えはじめたのが2020年の頭で、ちょうどコロナというものが世間で騒がれ始めたタイミングでした。そして企画書を書き上げたのが2020年の4月で、今度は東京で緊急事態宣言の出るタイミングで、制作期間がコロナ禍と完全に重なっていたんです。
そういうこともあって、どうしても「コロナをどう考えるべきか」は悩みました。「キャラクターにマスクをさせるべきか」「消毒液を置くべきか」といったところは、制作中にスタッフたちとかなり話し合いました。「公開の頃にはコロナもある程度は収まってくるのではないか」「ある程度は収まっていないと、映画の公開自体がどうなるかわからない」と思いつつ、どれぐらいの濃度でコロナを感じさせるべきか迷いましたね。
その結果、コロナをほとんど感じさせないようにすることを選びました。キャラクターがマスクをしている場面もあるけど、それは例外的にマスクをしているだけ。たとえばすずめだったら、東京に向かうときに家出少女として移動するから、顔を隠す意味もあってマスクをしているんだと。消毒液も置いてあるけど、よく見ないとわからない程度にして。
ーーそうした判断は、誰かの意見が反映されていたりしますか。
新海 『君の名は。』から一緒にやっているプロデューサーで、川村元気さんという方がいるんですけど。川村さんの言っていたことが印象深かったんですよ。「日本以外で上映される頃には、おそらく海外ではマスクの習慣は残っていない。それなのに劇中でいろんな人がマスクをしていたら『これはなんなんだ?』となるだろう。海外の人が見たら、マスクはノイズになってしまう」と話していて、記憶に残っているんです。その川村さんの意見は反映されていますね。
ーーあくまで作品のテーマは震災ですしね。
新海 僕は、コロナ禍になって、その前の日本社会に巨大なインパクトを与えた東日本大震災がコロナの衝撃に上書きされてしまうんじゃないか、記憶が遠ざかってしまうんじゃないかと思ったんです。コロナも一種の災害ですが、新しい災害が起きてしまった以上、あの地震はさらに過去の災害になってしまう。だけど、震災はまだ終わってなんかいないですよね。だとしたら、震災を題材にした映画を作っているのならば、コロナが起きたからといってそちらに切り替えたり、それを大きく盛り込むべきではないと思ったんです。そういった気持ちもあって、『すずめ』を制作していたときは、コロナ禍を映画の中で描くことはやめました。
ーー現在はマスク着用が個人の判断が基本になって、新型コロナウイルス感染症の扱いが2類から5類へと移行したりと、日本国内の状況も変わりましたが。
新海 そうですね。制作していたときは、コロナの存在を感じさせないようにと決めて作っていきましたけど、コロナ禍の状況が変わる中で、僕のなかでも変化は生じました。
『すずめ』の劇場での上映は5月で終わりますが、終映企画としてアップデート版を上映しているんですよ。それはDVDやブルーレイの収録用にアップデートさせたバージョンなんですけど、セリフを追加したりはしていませんが、マスクの描写を増やしています。ほとんど気づかないレベルですけど、東京駅などでマスクをしている人が何人か多くなっているんです。
『すずめ』は舞台を2023年9月に想定してるんですが、その作中の時期に現実世界が近づいたいま、たしかにマスク姿の人は減ったけれど、完全にはなくなっていないですよね。そういった現実とリンクするような世界を、より現在に近い世界を、ブルーレイ用のアップデート版では描いているんです。
『すずめの戸締まり』は“震災の映画”ですけど、もっと大きい視点で言うならば“災害の映画”なんです。災害によって人生が断絶された人が、その先でどうやってリブートするのかという物語。コロナもいろんなものを断絶した災害なわけで、震災はあったのにコロナはない世界というのは、映画のコンセプトから外れちゃうんじゃないかと、映画を完成させたあとに、考えが少し変わったんです。
公開後1カ月はあまり眠れず「気が緩むと涙が出た」
ーー過去作のインタビューで“作品に対する意見を気にするあまり寝込んだことがある”といったことを仰っていますが、今回は大丈夫でしたか?
新海 いまもそうです。いろんな意見が出てくるのは当然ですけど、そのたびに一喜一憂していますね。『すずめ』は昨年の11月に公開されましたけど、最初の1ヶ月くらいはあまり眠れない日々が続いて、ちょっと気が緩むと涙が出てしまって。自分としては「うまくいかなかったな」という気持ちが、すごく強かったんです。
うまくいかなかったと思う根拠が明確にあるわけじゃないんです。みなさんの力によってヒットしたといえる数字も出せました。それでも、うまくいかなかった気持ちが強かった。
震災に関する部分で、そういう気持ちになったんです。「震災を利用してお金を儲けている」ようなことを言われるのは想定していたんですけど、想定していたのと、実際にそういった意見を聞いたり目にしたりするのは、やっぱり違うものでした。
ーー聞いたり、目にしたもので、大きなインパクトを受けたものがあったのですか。
新海 ある報道ドキュメンタリー番組で『すずめ』を取り上げていただいて。東日本大震災に遭われてご家族を亡くされた親子の方が『すずめ』を見に行かれるんですが、その娘さんは「家族が震災で亡くなったことを友達に言えなかったんだけど、この映画を見て友達とそのことを共有できた」というようなことを言ってくださって。だけど、お父さんは「この監督は、なんだってこんなものを作ったんだ。こういう突きつけ方をしてほしくなかった。信じられない」といった反応だったんですね。いろんな反応が出るのは覚悟してたけど、それを見たときに「作るべきじゃなかったんじゃないか」「もう少し違う手付きがありえたんじゃないか」と考えて、寝込む寸前にまでなってしまって。
ーー難しい問題ですね。
新海 でも、いまとなっては『すずめ』という映画を作ることを、やらないよりはやってよかったと信じています。震災をエンタテインメントのなかで扱ってはいけない、扱うのは禁止となってしまったら、そのほうが不健全ではないかと思うんです。
東日本大震災に限らず、実際にあった大災害が設定の一部になっている漫画、小説、アニメは『すずめ』のほかにも数多くあります。なにか災害が起きると、そこから無数の物語が生まれていきますが、そういった作品に触れることで「あ、こんな災害があったんだ」「あの震災でこんなことがあったのかも」という気づきや思いが出てくるわけです。
ただ『すずめ』のような大きな規模の映画は、それゆえに目立つことで、さまざまな声が届くんですね。だけど、『すずめ』のような描き方じゃなければ届かなかったもの、届かなかった場所というのは、きっとあったんじゃないかと。海外を回って戻ってきたいまだからこそ、そう強く思います。