Fate雑記(士凛特化)+あるふぁ

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クイズ

【異文化交流クイズ】【3-9問題】来日外国人による日本の「ムスメさん」への礼賛

異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」。後半になって少々テーマから逸脱してきましたが、第9回の今回は幕末維新期にやってきた外国人達の目に映った日本の「ムスメさん」についてからの出題です。

『日本女性は男たちの醜さから程遠い。新鮮で色白、紅みを帯びた肌、豊かで黒い髪、愁いを含んだ黒い瞳と活き活きした顔は美人のそれである。』

『娘さん達の歯は世界中で一番美しいし、目は優しく、眉は黒く弓型になっている。綺麗な卵型の顔にすらっとした背丈、しとやかな体型、素朴で時には著しく上品な物腰が混じり合っている。この娘さん達が深々とお辞儀をし、優しい笑みを浮かべて近付いてくるのは見ものである。追い越していく時「まっぴらごめんなさい」と云うのは聞くに値する。

『日本女性の肌の色は、西洋での噂とは異なり、少なくとも若いうちは黄色ではない。特に北の方ではピンクの肌や白い肌の少女に出会うことは稀ではなく、その愛らしさは小粋なパリ娘も舌を巻くに違いない。民族衣装の襟から覗く胸から上の部分は殆ど例外なく完璧で、うなじの線、肩の丸み、胸元のどこをとっても、なんともいえず官能的である。

このような記録を残した筆者の国籍も、見聞した地域もバラバラにもかかわらず、彼らの日本の「ムスメさん」への礼賛は、とどまるところを知りません。

もっとも実は個々人の顔立ちを褒めているのは少ないのです。

「頬骨が出ている」「大きな瞳も少々切れ長過ぎ」「唇が厚ぼったく繊細さに欠ける」等々、指摘するところはちゃんと指摘していたりします。

ですが諸種の記録を総合すると、当時の一般的な庶民の少女達というのは、概して(外国人たちにも)人懐っこくて、よく笑い、愛嬌もあって、それでいて控え目で親切な物腰で……と、容姿以外の部分も彼らに強い印象を残したようで。

と云ったわけで、遂にはフランス人たちに『日本と云えばエル・ドラドじゃないか。常春と、不思議な花と、拒む術を知らない女たちの楽園だぞ』という日本女性観を植え付ける程でしたw。

もっとも、殆ど例外なく同じ記録の中で「日本の女性達は三十歳前後になると容姿は急速にたるんでしまう」とガッカリするように記録しています。

更に一様に非難の的になったのは、お歯黒と白粉のべた塗りでした。お白粉は兎も角、お歯黒は確かに現代の我々が当時の既婚女性を見れば、まず間違いなくギョっとする羽目になるでしょう。比較的忠実な時代劇でさえ、現在では殆どこの風習について再現されませんから。

このお歯黒の風習について、欧米人観察者の多くに受け入れられた見解は『女たちは男に身を捧げた印として、自分の魅力をわざと台無しにするのだ』というものでした。

彼らにしてみれば当然の帰結のようですが、流石にこれは穿ちすぎ、だと思われます。 

我が国の記録を見る限り「白粉で真っ白な肌、紅を塗りたくった唇、そしてその唇の狭間から見える真っ黒な歯のコントラストが美しい」と少なくとも一時期は捉えられていたことは確かなようで。

もっとも結局明治以降は普通に寂れた慣習ですので、どのくらいの時代まで我々のご先祖様達にそのような美的感覚があったのは、定かではありませんが。

さてここで今回のクエスチョン。

勿論地域差もあるでしょうが、日本の娘達が結婚するまでは自由気ままを満喫しているのは各種の記録に記されているところで、彼女たちの『優雅なる暇つぶし』として『お喋りをし、お茶を飲み、化粧をし、祭りを楽しむ』等々、具体例が挙げられていますが、外国人達が日本の娘の『優雅なる暇つぶし』として驚いたものがあります。

現在でも普通にある慣習、というか「日常の嗜好」ですが、外国人達が驚いた、日本の若い娘達が楽しむこの「日常の嗜好」とは一体なんでしょうか? 

この出題だと正解が複数ありえますので、ヒントとしては「現在でもあまり良い嗜好とは認識されていないもの」という前提条件でお答え下さい。

【異文化交流クイズ】【3-8回答】客から遊女にプレゼントを渡す際の仲立ちとして使われた、部屋の中に必ず備えてある『あるもの』とは?

異文化交流クイズ、第三シーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第8回の問題は、客から遊女にプレゼントを渡す際の仲立ちとして使われた、部屋の中に必ず備えてある『あるもの』とは一体何でしょう? という問題でした。

幕末維新期、日本を訪れた外国人達が一様に驚いたことに日本の女性の髪型があります。

時代劇を見ても分かると思いますが、あの髪型。毎朝結い直すわけにもいかず、そのために当時の女性は、器用に木の枕に自分の頭を載せて就寝したそうです。当時の来日外国人が残した日記でも、髪を結った日本人少女が形を崩さないように器用に木の枕を使っていたことが記されています。

そしてその髪型が花魁ともなれば更に大変であって、形を崩さない為には木の枕が必須であり、当然の事ながら就寝時には一番身近な家具ということになります。

ということで、今回の正解は・・・『木の枕』でした。

以下、カリージョの本からの引用。

『このちっぽけな家具はよくよく見ると、人形用の黒檀の椅子のようでもあり、絹の靴下を履いた西洋娘の足台のようにも見える。しかし、本当は秘密や宝物を入れておく箱なのだ。その小さな神秘的な引出を開けると、一時の恋の相手が寄越したプレゼントやら、好きな男の手紙が入っているのである。

 ある歌にこうある。“ひとり気ままにいるときに、人知れず見るものは、我が枕に隠されしもの”

 こうして彼女たちが見るものの中には、恋文やら口説きのプレゼントの他に決まって春画がある

さてこのカリージョ、吉原同様に春画についても非常に熱く解説しています(笑)。

春画を『誰でも好奇心から一度は見た事があるだろう』とまで「当時ヨーロッパで発売されたスペイン語の本の中で」語っています。

……「昔春画、今アニメ」という構図も満更間違いでもないようでw。そして次の一節も現代の「萌え」にも通じるモノが。

『日本は婦人達が人目を憚らずに入浴し、男性が裸で道を歩き回っているという途方もない国であるのに、こと春画に関してはどの画家も、狂気のヴィーナスや恥知らずのファウヌス(半獣神)に、絹の豪華な衣裳を纏わせて描くのである。実際春画には裸体は出て来ない。性愛の無上の恍惚の中でさえ着物を纏ったままである。精々描かれるのは、帯を解き、着物の前を開け、袖をたくし上げている姿までである。』

……つまり、既に春画の時代から「チラリズム」「絶対領域」の概念の原型はあったと云っても過言ではないでしょうw。

我々はこのような偉大なご先祖様を先祖に持ち得たことに、深く感謝すべきでありましょう。

さて最後に今回の元ネタ本の紹介。『誇り高く、優雅な国、日本』(人文書院)。勿論吉原の話だけでなく、日本の武士道やら詩歌、自然にまで踏み込んで描かれています。

ちなみに余談ですがこの本、カリージョの元本は20世紀初頭のスペイン語圏では大いに評判となり、スペイン語圏の日本像の形成に大きな影響を与えたそうで。スペイン語圏で「日本人=芸者、ハラキリ」というイメージが定着したのはこの本が原因であると、この本の訳者は推定しています。

・・・と云うことは当時からスペイン語圏では「日本人=無口無表情少女萌え、絶対領域万歳!」という素敵な構図も認知されていたということになりますが、さてw。

【異文化交流クイズ】【3-3問題】スコットランド人女性と日本人留学生の恋の悲しい結末 

異文化交流クイズ。第3シーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第3回は結婚準備を進めていた川田龍吉とジニー、その二人の恋の悲しい顛末に至る過程からの出題です。

龍吉にとってジニーとの結婚の最大の障害が親の同意でした。

しかし土佐の貧乏郷士から三菱の大幹部まで登り詰めた川田小一郎はその頃、東京でどんな暮らしをしていたかと云えば……

『神保町の大名屋敷跡に広大な邸宅を構え、敷地内に別棟を建ててそこに妾を住ませ、京都で遊興した折りには白羽二重の着物を身につけ数人の芸者を伴い』等々、典型的な「成り上がり」のそれでした。

更にその妾に子供を作らせたことで、妻美津との仲も険悪なものとなっていったようです。

龍吉としてはこの母親の口添えを突破口としてジニーを日本に連れて帰って嫁にしようと考えていたようですが、事態は全く好転する素振りさえ見られません。

一方ジニーの方にも突如転機が訪れ、スコットランドからイングランドのサンダーランドの聖書専門の本屋へと勤務先を変えます。

これは彼女自身の意志と云うより、彼女が熱心な教徒であることから推薦されたようですが、これにより二人の距離は物理的にさえ遠くなってしまいます。

『いとしいリョウ。あなたの優しい手紙を受け取りました。とても嬉しく思います。手紙を書く度にあなたが恋しくなります。私の手紙が冷たいと不満を云っていましたね。言い方が悪くてごめんなさい。だけど決して、わざと冷たくしている訳ではなくて、どうしてもそうなってしまう時があるのです。手紙を書いているときに心身ともに疲れ切っていることがあります。でも怒らないで下さい。あなたが云われるように私の心は眠っているのかもしれません。あなたが私を愛して下さるほど、貴方を深く愛していると云えないまでも、私は深く人を愛することが出来ます。少なくとも、貴方は母の次に大切な人です』

それでも二人は手紙で互いの気持ちを確かめあい、時には激しく対立しながらも、ついにジニーは龍吉のプロボーズを受け入れます。

『愛しいリョウ。今日は貴方から前に頂いた四通の手紙を繰り返して読みました。ああ、愛しい人。貴方を本当に悲しい気分にさせてしまいましたのね。

 貴方の前のお手紙には「はい」とお答えします。貴方のご両親が承知され、母も一緒に行かせて頂けるのなら、もうぐずぐず云ったりしません。こんなに返事が遅れて本当にごめんなさい。だけど仕方がなかったのです。考えなければならないことがそれこそ山ほどあるのです。きっと貴方は私がいつも大変だとばかり云っていると思うでしょうね。でも乗り越えられるものなら、もう云うのは止めにしましよう。私は貴方に妻として愛情の全てを捧げられると思いますし、貴方に仕えるために最善を尽くします。私にとって一番嬉しいことは、貴方を幸せにすることになるでしよう』

ですが龍吉の元に日本からのジニーとの結婚の承諾に関する手紙は一向にやってきません。

そうこうするうちに龍吉の造船実習は終わりに近付き、三菱が発注していた新鋭外洋船「横浜丸」が明治17年3月完成します。

この横浜丸を日本へと回航することが龍吉の機関士としての初仕事となることになっていました。

丁度この頃、龍吉は彼女に誕生日プレゼントとして、彼のポートレートを収めるべきロケットと鎖を送ります。そしてその代わりに、龍吉が彼女にねだったのがこのシリーズ第1回で御紹介した、龍吉の息子がその四十年後、金庫の中の小箱で見つけることになるジニーの金髪でした。。。

さてここで話を少し遡って、今回のクエスチョン。

龍吉はジニーと会えない日に新しい、ちょっとした「器具」を購入して一時期熱中していました。それを聞いてジニーは、少々辟易して『ねえリョウ、良心が重荷を背負っているのにどうして安らかに眠ることが出来まして?』とまで書き記しているのですが、後にその「器具」を龍吉が彼女の下に持ってくると、多少は興味を持ったようです(恋人としてのポーズの気もしますがw)。

さてジニーが龍吉に「良心の咎めは感じないのか?」と遠回しにまで聞いた「器具」とは一体なんだったでしょう? 

ヒントとしては、造船とは全く関係なく、それどころか我々が理科の授業で誰もが一度は使ったことがある器具であり、あくまで「器具そのもの」は何ら良心の痛むものでもない、ということで。

【異文化交流クイズ】【3-2問題】日本人留学生とスコットランド人女性との恋

異文化交流クイズ。サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第2回。

明治16年スコットランドに造船留学中、本屋の店員の少女ジニー・イーディー(当時18歳)と知り合った川田龍吉。この二人の付き合いが如何なものだったか、からの出題です。

ジニーをエスコートして自宅まで送った龍吉は、彼女に先日付き合ってくれたことへの感謝の手紙を送ります。これが本格的な彼と彼女の一年半に及ぶ手紙のやりとりの始まりでした。

龍吉の死後発見された分だけでも89通。これは当然龍吉の手元に残されたジニーからの手紙だけであって、龍吉が彼女に送った手紙は数百通にも及んだ模様です。

お約束と云えばお約束ですが、夏目漱石の例を挙げるまでもなく、日本から英国への留学生達は不順な気候と孤独に悩まされ、心身共に病む者が多く、半年も保たずに帰国する者も多数いる中、龍吉の滞在期間は既に6年。不眠症と偏頭痛で悩まされ始めていました。

彼女はそんな龍吉にとって唯一人の相談相手になったわけです。

そして丁度ピッタリと云うべくか、ジニーは熱心なスコットランド自由教会に属する熱心なクリスチャンでした。

『木曜の夜、貴方は私があなたを導く天使だと手紙に書いて下さいましたね。でもリョウ、私はとうてい天使に値しません。だって、私はとても弱くて愚かで簡単に道を誤ってしまいそうなのですもの。でも私は正しく導かれるように、あなたのためになれるように祈ります。私たちの天のお父様はきっとこれを聞いて下さっているし、これからも聞いて下さるだろうと信じます』

ジニーは教会での活動と信仰の力を記すと同時に、龍吉の支えとしての責任を感じ、龍吉は感謝の気持ちを込めてジニーを守護天使とする願望を抱くようになっていきます。

彼らは週に二回、火曜と土曜の夜にデートをするようになりましたが、お互いの休日である日曜日には会うことが出来ませんでした。

理由は言わずもがな、日曜は安息日であり、教会に行かねばならない日だったからです。

ジニーは何度も教会に行くように勧めましたが、龍吉は遂に首を縦に振らず……その50年後、龍吉は彼の四男に次のような言葉を残したそうです。「耶蘇に入ったら、陛下に申し訳ない」と。

『惑わされないでね、リョウ。私を信じて下さい。キリスト教は神話ではなく真実なのです。楽しむべき人生であり、幸福なのです。どのような世界を与えるとか、奪うとか、そういうものではないのです』

そんな宗教観の違いはあっても、二人の間には結婚プランが徐々に形になっていきます。

ジニーがグラスゴー郊外の保養地へと龍吉を誘い、そこで短いながらも夏の休暇を共に過ごし、二人の気持ちはますます堅い物となります。

この直後のジニーの手紙には、キスマークさえ記されています。そして龍吉も「ジニーのことをより深く知る手助けとなるならば」と聖書を読むことには同意します。

さて、そんな風に結婚へと歩み出した二人ですが「その為にも」と龍吉は「あるもの」が欲しいとジニーに告げます。

それは購入するのは勿論、維持するにも大変な金額を要する物であり、ジニーも「二人に不可欠な物じゃない」と龍吉に諦めるように告げるのですが……さて、ここで今回のクエスチョン。

この購入するのにも、維持するのにも大変な金額を要する「あるもの」とは一体なんでしょう? 

ヒントとしてはこの18年後、龍吉は東京で手に入れることになります。その「あるもの」そのものではなく、その進化型であり、日本に上陸したばかりの「それ」を。

【異文化交流クイズ】【2-5問題】「前期印象派」とジャポニズム

異文化交流クイズ、ジャポニズム特集第5回はマネ、ドガ、モネ、ゴーギャン、ゴッホらの前衛的画家が中心となった「前期印象派」についての纏めの出題です。

印象派の画家達と日本美術の関係を示唆する文章が本格的に現れるようになったのは1870年以降。

以下の証言は時代的には更に後のものとなりますが、大変分かりやすいので引用。

パリで開かれた「歌麿と広重」展を観覧した印象派の画家ピサロのものです。

『日本の展覧会でモネに出会った。やれやれ、この展覧会は我々が正しいことを示してくれたよ。驚くべき印象派風の灰色の夕日が幾つもあるんだ』『日本の展覧会には感服する。広重は素晴らしい印象主義者だ。私もモネもロダンも夢中になってしまった。私が描いてきた雪や洪水の効果に満足しているよ。日本の芸術家達は我々の視覚的な偏りに確信を与えてくれるのだ』

ただこれは何処までも一方的な隷属的模倣を行った結果のものではありません。丁度19世紀後半のフランス。従来のルネッサンス以来の絵画の表象体型が崩れ始め、表現の重心が線と明暗と空間から、色彩と筆触と平面へと移行しつつあった時代。袋小路に陥っていた従来の絵画や工芸品に、新しい方向性、新しい美的価値を付与する必要があった時代。そうした時代にまさにタイムリーに日本美術はもたらされ、フランス美術の刷新を促す触媒となった、というわけですね。

そして一番上でサラリと書きましたが、フランスの絵画に斬新な風を吹き込んだ前期印象派の画家達を、現在の我々はごく普通の「絵画」として認識していますが、当時としては「前衛芸術家」そのものだったのです。だからこそ彼らは自分たちの「正しさ」の裏付けを求め、上の証言のこの部分が意味を持つわけです。

『日本の展覧会でモネに出会った。この展覧会は我々が正しいことを示してくれたよ』

『日本の芸術家達は我々の視覚的な偏りに確信を与えてくれるのだ』

そして事実、印象派世代の全画家に日本美術の本質的な影響があったわけではなく(セザンヌなどは浮世絵版画に批判的な証言が残っていますから)、しかも明らかに日本の浮世絵の影響を受けている画家たちでも、彼らは自分なりに浮世絵版画を咀嚼し、新たなる絵画を生み出したわけです。

印象派の擁護者であったシェノーの以下の証言はそれを端的に示しています。

『聡明にも彼ら(印象派画家たち)は、自らの才能の上に否応なしに及ぼす働きかけを統御することが出来た。各々が日本美術から、己の天与の才と最も近い類似性を秘めた特質を吸収したのである』

さてそんな初期ジャポニズムですが、1876年のパリ万博の後、画家や批評家、そして何故かセーブル陶器工場の工芸家らの最初期のジャポニザン達は『シャングラールの会』というものを結成していました。一説には共和主義を奉じる政治的な集まりに近いものと云われていますが(当時のフランスはナポレオン三世の第二帝政下)詳細は今も不明です。

ただフランスのジャポニザンの政治的立場としては共和主義者が多かったらしく、これは彼らが美術においても古典主義、アカデニズム、貴族主義などを否定し、自然主義、印象主義、民衆性に連なる価値観を支持する者たちが多かったからだと考えられています。

……形式上、浮世絵はどこまでも「バリバリの封建制」の下で生まれたものから考えると少々皮肉な話ですけれど。

さてここで今回のクエスチョン。この『シャングラールの会』。文字通りの意味で云うと、日本の『とある飲食物』を愛好する者たちの集い、ということになりますが、それではそのその『とある飲食物』とは一体なんでしょう? 

ヒントとしては、その『とある飲食物』、中には絶賛する人々もいるのですが、概して幕末維新期に日本にやってきた外国人達にはあまり評判は宜しくないですね。

【異文化交流クイズ】【1-10回答】漂流の末、英国船に救われた日本人が出された米料理にウンザリした理由は?

異文化交流クイズ。今回は『長い漂流の末、英国商船に救われた日本人が、食事の際に米が出たにもかかわらず、うんざりしてしまったのは何故でしょう?』という問題でした。

今回の正解は・・・『米に砂糖がかけられてしまったから』でした。

要するにイギリス人から見るとこの米料理は「ライス・プディング」のつもりだったのです。実際のライス・プディングは水の代わりに牛乳がかけられているのでしょうが。

最近は知りませんが一定世代以上の世代の人間だと、英語を学び始めたばかりの頃に紹介される例文で「ライスプディングを作った」と云う文を見たことがあるでしょう。当時その例文を読んで「・・・お米のプリンって何?」と首を捻ったもので、実際今に至るも「ライス・プディング」なる料理を食べたことがない訳ですが、果たしてお米に牛乳と砂糖をぶっかけて美味しいものでしょうか? 

まあイギリス人は元々緑茶にも砂糖をぶち込んで飲んでいたわけですし、この辺は昔の日本人がなんでも大体醤油で味を調整していたのと同じ類の話なのでしょうか?(きっと違うw)

次回シリーズからは10回1セットで特定のテーマを絞って出題していきます。セカンドシーズンのテーマは『ジャポニズム』になります。

【異文化交流クイズ】【1-8問題】ロシア人革命家が見た幕末期の外国人の悪行

異文化交流クイズ。ファーストシーズン第8回。今回はロシア人お雇い外国人、レフ・イリイッチ・メーチニコフの記述から。

彼は東京外国語大学ロシア語学科の講師として雇われるわけですが、そもそも彼を日本に招聘したのは西郷隆盛(正確にはヨーロッパ留学時代の大山巌の家庭教師だった関係)。「西郷が江戸で開設予定だった私学校の講師として招聘された」というのも驚きですが、更に驚くべきことは彼の「本業」が「革命家」だったということ。「革命家」という職業があること自体、ロシアは不思議な国ですがw。

ですが彼が日本に着いてみると西郷は鹿児島に引き上げた後で、路頭に迷うところを明治政府が雇ったという、変わった遍歴の持ち主です。「革命家を政府の役人として雇う」という日本政府の奇行wですが、当時の日本人に「革命家」という概念が理解できる筈もなく。

メーチニコフの記述は革命家だけあって、全ての物事の観察視点が「革命」を機軸にしていて、日本人にとって奇妙な記述も結構あり「資本主義に毒されたw」西洋人達の行動にも手厳しいです。

以下、彼の記述による、幕末期に外人たちの間で「流行った」お手軽な「保険金詐欺」の方法。

①築地の租界地に粗末な倉庫を建て、商品のように見せかけて石油をしまい込む。

②隣の品川近辺で、護衛付きで高慢な侍たちの集団に喧嘩を売る。

③次の闇夜に「何故か」彼ら所有の倉庫が燃え上がる。

④自分達が被った「商品の損害」の勘定書を幕府に叩きつける。

⑤保険会社に火災保険の請求して「二重取り」をする。

・・・治外法権が如何に彼らにとって役立つかの典型的な見本ですねー。

さて今回の出題は、その辺のことは一切関係なく、彼が東京の街中で見た光景から。

メーチニコフは他の国々では特別に繊細かつ臆病なことで知られている「ある動物」が日本では「神の使い」として敬われ、白昼堂々町中に出没して傍若無人な行動をしても追い回されたりはしない事に驚いています。

さて、ここでクエスチョン。この「ある動物」とは一体なんでしょう?

【異文化交流クイズ】【1-6問題】日本で最初の運動会で開催された競技は?

異文化交流クイズ。今回のクエスチョンは《日本で初めて開催された運動会のプログラムにおいて「蛺蝶趁花」と記された競技とは現在で云うどの競技でしょう?》という問題でした。

今回のクイズの回答は・・・『二人三脚』でした。「蝶々」をイメージしての、美しい造語ですね。

ちなみにこれ以外の競技としては

「1ヤード毎においた鶏卵二十個を拾い集めて走る」

「目隠しして50ヤードの距離を走る」、

「頭上の水桶から水を零さないように50ヤードを走る」

などの競技があったようで、これらの競技を政府の高官まで招いて大真面目に取り組んでいた光景はさぞ愉快だったことでしょう。

なお「豚の尻尾掴み競争」に関しては「尻尾が引き毟られ、豚にとって残酷なゲーム」だったが故に、日本では定着しませんでした。……そうでなくても、定着したとは思えませんがw。

(No Title)

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