異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第7回は、少し視点を変えて「西洋人の視点から映った日本人夫婦間の愛情」についてからの出題です。

『日本人は愛によって結婚しない』と云うのは、幕末期日本を訪れた西洋人観察者達に広く流布していた考え方だったりします。

この点を端的に示したプロシャの海軍将校ヴェルナーの文章を信用しますと、

『わたしが日本人の精神生活について知り得たところによれば、愛情が結婚の動機になることは全くないか、或いは滅多にない。そこでしばしば主婦や娘にとって、愛情とは未知の感情であるかのような印象を受ける。私は確かに両親が子供達を愛撫し、または子供達が両親に懐いている光景を見てきたが、夫婦が愛し合っている様子を一度も見たことがない。神奈川や長崎で長年日本女性と夫婦生活をし、この問題について判断を下しうるヨーロッパ人達も、日本女性は言葉の高貴な意味における愛をまったく知らないと考えている。』

この文章の肝は『言葉の高貴な意味における愛』という点で、ヴェルナー曰く「性愛が高貴な刺激、洗練された感情をもたらすのは、教育、高度の教養、立法並びに宗教の結果である」。これはつまるところキリスト教文化の結果としての性愛のみが、彼らの認めるところの『愛』であり、間違っても当時の日本人の性愛意識――『男女の営みはこの世の一番の楽しみ』――などと考え方とは相容れないものであったりします。

……とこのテーマで小難しく書いても仕方ないですので、ぶっちゃけて云えば、西洋人達は幕末の日本にやってきて仰天したわけです。

春画や春本があまりに一般庶民の間に横行していたことを、西洋では「解剖学教室以外では見ることの出来ない例の形」をしたお菓子が平然と売られていることを、あまりにも平然と異性の前でも――西洋人である彼らにも物怖じせず――若い女性達が肌をさらし、時には『着物をまくし上げて身体を見せつけるようなことまで敢えて』することを。

当時の日本人にとって「性は男女の和合を保証する良きもの、朗らかなもの」であり、従って恥じるに及ばないものだったのですが、キリスト教的異性愛の観念のみが唯一の愛であった西洋人にはとても受け入れられるものではなかったわけです。

当時の日本人と西洋人の間の結婚の一部がお互いにとって不幸な結果を招いたのは、言語の違い以前に『愛』に対する観念が根本的に異なっていたことも挙げられるでしょう。

さてここで今回のクエスチョン。

江戸後期、庶民の間に流行ったものに川柳がありますが、その中で漢字では「恋句」「艶句」と書く、エロチックな内容の川柳を「バレ句」と云いました。

その中の有名な一句『弁慶や○○は馬鹿だなァ嬶ァ』は、男女の営みを知らない(と一般的にされた)歴史上の人物をからかったものですが、この「○○」の部分に入る、歴史上の人物とは一体誰でしょう?