1879年1月24日 金曜日

夕べはひどい暴風でよく眠れなかったが、明晩の音楽会の準備で一日中大忙し。

奇妙なことに種田氏から同じ晩の、同じような催しへの招待があった。

お逸の一番上のお姉様である内田夫人が手伝いに来て下さり、手伝う仕事があったことを喜んでおられた。

勝夫人もみえて、ご主人のためにドーナツを持ってお帰りになった。

私は月曜日の船でアメリカに送るエッセーを書くのに追われて忙しかったが、やっと完成し、母もよく書けていると褒めてくれた。

夕べウィリイから手紙が来た。

六十五マイル歩いて、くたくたになって金沢に着いたということだ。

可哀想なウィリイ。

私は時々どうしてもウィリイを呼び戻さなければならないと思う。

あんな淋しいところに独りぼっちで、きっと何か危険な目に遭うと思う。

天の神様、どうかウィリイをすべての危険からお守り下さい。 

話は変わるけれど、火曜日に松平定教氏がみえた。

アメリカから帰ってきたばかりで、とても素敵になった。

桑名藩の若殿様で、一年前に亡くなったおやおさんの婚約者と一緒にアメリカに留学していたのだ。

一緒にアメリカに行った三人の公子のうち一人だけが生き残ったことになる。